2011/01/27

Kho Chang 2

続いて、コッコンルートの帰り道編recycle

1日でチャン島からバッタンバンまで帰るのは、バスならまず無理(夜行バスを使えば翌朝早朝にはバッタンバンにつくことは可能なようですが…)。コッコンかプノンペンで1泊する必要ありです。

では、以下記録です。

朝6:30一番早いフェリーに乗るためチャン島の港へ向かう。(チケット80バーツ)

7:00ちょっと前にフェリー出発ship

7:30前にトラート側の港に着。トラートバスステーションに行きたかったが、バスステーション行きのソンテウ運転手は、6人集まらないと出発しないと言う…。(300バーツ払えば1人でも行ってくれると言っていたけど…)仕方ないので人を待ってみるsnail

3台目のフェリーでようやく6人以上の人が集まり、8:55めでたく出発。(50バーツ)

9:50トラートバスステーション着。呼び込みの人たちの間を抜けて、ステーションの中をまっすぐ進んだ一番奥、右側に「Cambodia Border」と出ているミニバス乗り場に向かう。ハイエース豪華版が人数が集まるのを待っている(豪華じゃない時もあるので注意…)。これまた人数が集まらないと出発しないというので注意(120バーツ)。

私の場合、自分が最後の一人で10:00に即出発(ラッキー☆)bus

11:30頃タイ側国境ハートレイクに着。出入国手続きを行う。人の出入りはそんなにないので対して並ばなくてOKだった。

カンボジア側国境では、カンボジア人のバイクタクシーがコッコンの街まで乗って行けとうるさい。その中にプノンペン行きのバスを出している人を発見。プノンペン行き最終バス12:30があるというのでチケット購入(500バーツ)。コッコンはバーツもドルも普通に使えます。

12:00前、モトバイクに乗ってバス停に向かう(60バーツ)。モトバイクの運転手がバーツの換金を勧めてくるが、ドルがあるならその必要はない。思わず換金すると言うと、レートの悪い換金屋に連れて行かれるから注意!!

結局13:00コッコン発。

途中休憩を経つつ、18:00プノンペン着。

どうせトラートの港で人を待つなら、チャン島の港をもっとゆっくり出てもよかったな~と後で思いました。ラッキーが重なるとプノンペンまで戻れるし、アンラッキーだとコッコン1泊が余儀なくされるといった感じがします。(乗り合いタクシーなど、自分でアレンジできればコッコン泊は必要ないかもしれませんが…)

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Kho Chang 1

カンボジア生活の中で、任国外に出かけることがしばしばありましたが、その中でよく通ったタイの島”チャン島”への行き方について記録しておきますpencil

カンボジアからタイへ抜ける国境はいくつかありますが、私が使ったことがあるのはポイペトルートとコッコンルートの2つ。

そのうち、バッタンバンからチャン島まで、最短で1日で行けるポイペトルートについて紹介します。

以下、旅の記録です。

朝6:30バッタンバンの自宅を出る。

Capitol Tourバス停にて、ポイペト行き(途中スヴァイ・シソポンで乗り換え)のチケット(3.75ドル)を購入。できれば1日前に、あらかじめ買っておくと無難。

乗り合いタクシー(2時間程で国境まで行ける)を使っていく方法もあるので、予算に合わせて選択の余地あり。

朝7:45、Capitolのバス停からからシェムリアップ行きのバスに乗るbus

9:30頃スヴァイ・シソポンで下車。30分程待って、シェムリアップからポイペトに向かうバスに乗り換えるbus

11:00、ポイペト国境着。イミグレーションで出国手続きをする。(もちろん自分で)

徒歩で国境を超え、タイ側国境のアランヤプラテートからタイ入国。

タイに入国する人は結構多く、1時間程待たされることを計算しておく。

ちなみにアランヤプラテートはカンボジア内戦時に難民キャンプがあった場所としても有名です。今は、カンボジア―タイ間の衣料品や生活用品の輸出入が盛んで、アランヤプラテートには大きな市場があります。見て回ると面白い。鳥の空揚げがめちゃうまいです。

12:00入国審査完了。

国境出て徒歩5分ほどの場所にあるバス会社(TGG Travel)から13:30にチャン島行きのバスが出ているのでチケット購入(400バーツ)。この旅行者の場合、チャン島行きのバスは1日1本だけなので注意。

バスの時間まで市場の散策&ランチrestaurant

結局14:00アランヤプラテート出発(予定時間に出発することは、ほぼない…)

ひたすらミニバス(ハイエースのちょっと豪華版?)の旅。途中コンビニつきのGusスタでトイレ休憩が入る。

18:30トラートの港(チャン島まで最速で行ける港)に着。ここでミニバスとおさらばするもよし、100バーツ追加でそのまま自分の宿泊先まで送り届けてもらうもよし。ドライバーと交渉する。

私の場合、100バーツ払ってそのままフェリーに乗り込み、即出発(待ち時間なしでラッキー☆)。夕日を見つつ、30分しないくらいでチャン島に着ship

宿泊先まで送ってもらえて仲間とDinner!!

家を出てからの所要時間、13時間ほどで目的地まで行けました。結構快適な旅でしたclover

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2010/12/03

モンティー・オッブロン

1月帰国の隊員は読んでいないであろうことを前提のブログネタですchick

1年半バッタンバンで教育に関わってきましたが、今日初めて、モンティー・オッブロン(州の教育省)に行ってきました。

予想以上の敷地の大きさと、建物の立派さにちょっとびっくりeye

何をしに行ったかといえば、教育省内で働く帰国隊員へのメッセージをもらいに…。

Kyouryokusya

教育云々、関係ないや~んpig

しかも、メッセージ撮影中に当の本人(帰国隊員T)が通過してくし…。

企画、バレまくりですsweat01(担当者の人、ゴメンナサイ…)

でへ。

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2010/10/21

カンボジアんリゾート

カンボジアにビーチリゾートがあるって知ってました???

その名は、”シハヌークビル特別市”

Tao_2_2 

街のシンボル”タオ・ピー(2匹のライオン)”同期の現地JOCVと…

(カンボジアの州にはたいがい、何かしらシンボル的などでかい像がある・・・。)

なじみ深い広大な田んぼとヤシの木と地平線という風景とは違って、低い山がでこぼこと広がる、坂だらけの土地。そして、海!!

Sihanoukuville

(ビーチの写真を撮ってたつもりが撮れてなかった…。がびょん)

雨季のローシーズンなので、そんなに多くはないけれど、ビーチや街中で、欧米諸国からの旅行者の姿が見られ、街も外国人向け仕様。カンボジアにいながら、カンボジアではない雰囲気eye

シュノーケリングツアーに出かけたり、ビーチでイカ焼きとアンコールBeerで乾杯したり、

地元のロックルー(先生)に副業先の港見学をさせてもらったり、 

Soujusitu_2Mityadame_5

Klene_6

観光スポットの滝に連れて行ってもらったり、

Mizuabi_2 Okasiikaga_2

Tala_2With_rokkuru_ramon_2

Tack_tyuros_2

ビール工場で工場見学しないで飲み放題に入り浸ったり(笑)・・・。

Tatiirikinsi_2

With_pon_tia_kohn

海はそれほどきれいではないけれど(雨季のせいもあり・・・)、ビーチの雰囲気とシーフードwithアンコールBeerを満喫できました。

Kanikani_2

ちなみに、アンコールBeer=”バイドン・クマエ(クメールの心臓(ハート?))”って呼ぶらしい。愛がありますね~beer

Baidon_khmer_2

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2010/10/18

9月のお話☆コッコン編

9月の研修後、21年度1次隊JOCVで同期任国内旅行に行ってまいりましたbus

行ったのはコッコンyacht

カンボジアの南西部、タイとの国境がある州です。

コッコンにはビーチがあります。その名も”Nice Beach”Nice_beach

Kani

何を持ってナイスなのかは謎ですが、人生2度目の海に落ちる夕日を眺めることができましたsun

Yuhi 

思わず人魚も登場しちゃいますnote

Mermaid

サファリワールドなるものもあり、行ってみましたrun

Zoo

開園と同時に立て続けにアニマルショーが始まりました。

Show_schedule

イルカ、トラ、チンパンジー、ワニ、トリ・・・と順番に見て回るとお昼過ぎ。

ショーはなかなかのもの。見ごたえあり!!

流線美がたまらん、私の一番好きな動物heart04

Dolphin

どうしてもマーブルケーキを連想してしまう・・・。火の輪くぐりは楽勝な感じでしたscissors

Kotosimoatowazuka

Fire

ビキニ姿の彼女と2ショット。肩組んでくれた☆

オラウータンって、思った以上に腕が長~い。その芸達者ぶりに脱帽!!

Mendokuse

Round_girl

Winner   

見てるだけなのにハラハラ・・・。

Waniwani

飛ぶ姿は優雅できれい。こぐ姿はちまちましてて愛くるしさ倍増chick

Yoisyo

種類の少なさや、目玉になる動物が特にいないのを、ショーの連発でうまくカバー。飽きさせない工夫に感心しました。

われら同期は現職教員が6割を占めるだけに、遠足みたいに駄菓子を持ってバスに乗りこんだり、みんなで夕日をバックに一文字作ったり、ちょっと修学旅行っぽくなってましたが、そこがまた楽しい同期旅行でしたclover

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2010/08/27

Go to Malaysia ~帰国の途~

マレーシア5日目は、コタ・バルから国内線で再びクアラルンプールへairplane

乗り換え便が夜まで出ないNaoは、市内観光へ出かけたので、空港でお別れweep

私はプノンペン行きの飛行機の時間まで、待ち時間5時間…。

う~む、どう過ごすか…

考えた結果、クアラルンプールの市内を見に行くことに!

しかし、空港は市内から77kmも離れてて、車だと1時間強かかっちゃう。往復2時間でお出かけはちょっと勇気いる選択coldsweats01

でも、やっぱ、行っちゃいましたrun

目的地はチャイナ・タウンやセントラルマーケットのあるパサール・スニ。

一番近場だし、面白そうな匂いが…。

まずは、空港バスでKLセントラル駅まで1時間の旅bus 

Tokutouseki_2

植林された山間部を走る高速道を30分以上行くと、だんだん風景が変わり、住宅地が増え、高層ビル群も見えだしました。

Kl_no_matinami

バンコクも相当な都市でしたが、クアラルンプールもすごい。プノンペンのように原付バイクが大半なんていう首都じゃぁもちろんありません。

”途上国”と思われがちな国も、今や、かなりの国力を持って発展しています。自分の目で確かめることで、その勢いを肌で感じました。

バスは予定通り、1時間ほどでKLセントラル駅着。

続いてプトラLRT(路線名)に乗り換えれば目的地まで一駅。乗りたい路線を探してうろうろうろろ・・・。

そんな様子を頼りなく思ったのか、ついさっき、さよならした、バスで隣だったマレー人の新米父さんが戻ってきて、「こっちだよ」「ここで切符が買えるから並んで」と至れり尽くせり…。ああ、人って温かいshine

さわやかな笑顔を残し、出張帰りの彼は、最近生まれたばかりの愛娘に会いに帰って行きましたconfident 感謝…clover 

Kanasiikana_densya_ga_uresi_2

おかげさまで、無事パサール・スニ到着 train

”ここを訪れればマレーシアのすべてに出会える(by 地○の歩き方)”というキャッチフレーズに、まんまと入り込んでしまったセントラルマーケットcrown

観光客だらけ~typhoonお店だらけ~typhoonだだっ広い~typhoon

完全に時間オーバーすると思い、ざっと見て回るだけに。(なんと、ここでNaoと奇跡の再会!!しかし、交わした会話は「おっ!」「あっ!なんでっ!?」のみ(笑))

タイや中国、インドやイランを感じさせるものが混在してて、それが様々な国との貿易で発展してきた歴史や、外国の侵攻に何度となく遭ってきたこの国を象徴しているようでした。

短時間じゃ、気に入るようなマレーシア独自のおみやげに出逢うのは困難必至。あきらめてチャイナタウン屋台をちら見して空港に戻りました。

帰りは時間優先でTaxi Getcar

運転手のおじちゃん(インド系)。

Ojityan_to

1時間のドライブ。結構会話が弾んで退屈知らずの車内notes

彼曰く、「あんたは、来年日本人と結婚するよ」だって。なんでそこまで言い切るか、おじちゃんthunderpig

そんなわけで、もし、ほんとに結婚したら、ハネムーンには、クアラルンプールまでおじちゃんに逢いに行くことにしました(笑)

そうそう、ドキドキ短時間首都見学でしたが、飛行機には余裕で間に合いましたscissorsほっ

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2010/08/26

Go to Malaysia ~Go Go プルフンティアン島~

入国翌日、バスで港町クアラ・ブスッまで行くつもりでしたが、格安Taxiにめぐり合い、そちらで移動することにcar

車は快調にぶっ飛ばしてdash、1時間で目的地へ。

クアラ・ブスッの港には、ボートを待つ外国人がたっくさんgemini

英語にフランス語にイタリア語…。年齢層も国籍もまちまちなバックパッカーたち。自分もその中の一人なんだけど、自分は”地球人”って感じがする瞬間。

ボートは定員の人数が揃うと随時出発。いざ、プルフンティアン島へ!!

島まではボートで40分ほど。なぎなぎの海に、ご機嫌な青空ともくもくした雲が鏡のように映ってましたcloud

Sora_to_umi_2

島が近付くにつれ、海の色は、底の砂が透けて見える程のやさしく淡い青へ。

まぶしい真っ白な砂浜に、こんもり茂った山の緑。視界いっぱいの生き生きした色を前に、気持ちは最高潮~happy02にやけた顔がもどらない(笑)

プルフンティアン島はクチル島(小さい島という意味。そのまんま‼)とプサール島(大きい島)の2つの島からなっています。

私たちが泊ったSenja Bay Resortは、夕日が見える島の西側にありました。

Senja_bay_resort_2

船長さんに宿名を言って、最寄りの桟橋から上陸!!

この日は、Check in&腹ごなしをしてからロングビーチに出陣っrock

ロングビーチはクチル島のメインビーチで、宿のあるコーラルビーチからは10分ほどかけて島を横断しなければなりません。(プチトレッキング?)

その間、いろんな動物がお出迎えしてくれましたeye

Hara_akai_risu

Vivit_kamereon_kana_wakaran

1m_ijou_attayo_nandaro   

1日目は、ショップで2日目のダイビングの申し込みを済ませてから、ロングビーチをシュノーケリング&桟橋でおふざけのち、お昼寝。

Hennaojisan

Dakara_hennaojisan 

ロングビーチの海は、遠浅のビーチで透明度はスバラシイのだけど、魚やコーラルがあんまりいないのが残念だった…。ナマコやアメフラシはいっぱいなんだけど(笑)

宿近くで見た夕日sun(2日間とも雲が多くて海に沈む夕日は見れず)

Yuuhi

2日目は、午前中、ボートダイビングを2本ship

Diving_shop_2

ダイビングは、1本目、深場の透明度が3mほどしかなく、無念…。コーラルは大部分が死に、その上に10cmほどの若いコーラルが少しずつ新しく広がり始めた段階でした。

2本目のダイブは1本目よりずっと沖まで出て、透明度は10mほどに改善。魚の数や種類も豊富で見て楽しめました。けど、やっぱり自分の調査不足かな…。ポイントの情報収集が足りなかったかなって感じです。

午後、コーラルベイをシュノ-ケリングのち、お昼寝(寝てばっかり…)

沖に浮かんでる筏の上でNaoとおふざけ楽しかったなnotes

最終日の3日目はカヤックを借りて島の北側を探検wave

Kayack_2

途中上陸して、風車のある島の展望台に登ったり、島最北の宿がぽつんとあるだけの、小さなビーチでシュノ-ケリングをしたり、貝拾いをしたり。

Tenboudai_2

Climber

Tenbou

展望台にはソーラーパネルが設置してありました。島の電力源なのかな???

貝やサンゴ、シーグラス。な~んか、拾っちゃうんですよね…何作ろうかなsmile

そして午後4時、満喫しつくしてクチル島を後にしました。

プルフンティアン島(クチル)は、こじんまりとした、開発されていない、自然のままの、のどかでゆったりした時間の流れる場所でした。

水上Taxiの運ちゃんも、お店の店員さんも、訪れるバックパッカー達もとってもリラックスした雰囲気yacht

ご飯は、思っていた以上においしくて、外れはありませんでしたrestaurant(アジア圏だけに、食べ物が合うのか、自分のストライクゾーンが広いのか…。)

Malaysian_carry

Nao_to_seafood

Banana_shake

Bbq_da 

海のエキスを体いっぱい吸い込んだ3日間。これでしばらく内地にこもっても頑張れそうです(笑)

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2010/08/25

Go to Malaysia

学校はテスト期間に突入☆

このまま9月末まで雨季休みとなりますsprinkle

ということで、海好きの禁断症状が出る前に(笑)任国外旅行に行ってまいりましたnotes

目的地はマレー半島東部に浮かぶ島、プルフンティアン島wave

マレーシア隊員に「きれいな海どこ!?」って聞いたら教えてくれた場所です。

出国はシェムからクアラルンプールへ。そして国内線に乗り換えてコタ・バルまでビューンairplane

飛行機はやっぱしAir Asiaですね~shine財布にや・さ・し・いconfident

Air_asia

朝シェムを出て、昼下がりにはコタ・バルに着。

その空港で仲良くなったTaxi運転手scar

Ojisans

でも、Taxiには乗らず(ごめんちゃいsweat01)、バスでホテルのある市街へbus

Bus

しか~し、時は折しもラマダ~~~~~~ンmoon2

断食のアレですcoldsweats01

マレーシアは人口の65.5%を占めるマレー人がイスラム教を信仰しているそうで、所々でモスク(玉ねぎのような尖塔が目を引くイスラム寺院)が見られます。

特に、今回、中継地点として2泊するコタ・バルは、イスラム色の強い街だそうで、すれ違う人の多くがマレー人。

Taxiのおじちゃん曰く、イスラム教徒は1日5回、聖都に向けてお祈りをするそうで、ラマダーン中は、19:30の5回目のお祈りが終わるまで、人々は飲食できません。

平日昼間のコタ・バルの街中は、人もまばらで市場も閑散としていて、寂しい感じ。

Itiba

ラマダーンだけに、食堂も閉まっていました。

カルチャー・ゾーンとやらに行ってみたものの、開館時間に間に合わず…。

Handy_claft_hakubutukan

とりあえずクランタン川で夕日。

Yuhi

ラマダーンに便乗して19:30までご飯はおあずけしてた律儀なわたくし。

腹ペコで夕飯を食べに出かけました。

食べたご飯は、ナシ・アヤム。ナシがご飯、アヤムが鶏肉。

屋台のおばちゃんとお兄ちゃんが食べ方を教えてくれました。

カンボジアのバーイ・サイ・モアンみたい。

アイスティーは独特の甘~いお味。

コタ・バルは、日本人がほとんど来ないようで、屋台の二人は初めて日本人を見たと言ってました。

初日本人か・・・。光栄です

そういえば、昼、街中を歩いていても珍しいものを見る目で見てたな~。

マレー人の女性は、肌を見せてはいけないというイスラムの教えにより、トゥドゥンと呼ばれるベールを頭にかぶり、長袖、長ズボンや民族衣装。だから、半そでで、髪を下ろしているとそれなりに目立つようです。

イスラム教というと過激派とか、怖いとかいうイメージを持つ方もいるようですが、とんでもない。笑顔に笑顔で答えてくれ、人を邪険にしない寛容な心を持った人々ばかり。道を尋ねても親切に答えてくれたり、一緒にネットカフェを探してくれたりなんかもして、感動モノでした。

戒律の厳しいイスラム教を信仰するだけに、誠実で礼儀や作法を大事にしているように感じました。

この日は、日本から夜10時の便でやってくるNaoとコタ・バル空港で待ち合わせ。

昼に仲良くなったおじちゃんのTaxiでお迎え&感動の再会happy02

Nao、いっぱい乗り換えしてはるばる会いに来てくれてThanksねheart04

そして、ホテルの部屋に落ち着いた二人。

あっ!!天井にお祈りの方向を示す目印発見!!

Comdorm_ja_naiyo

(プルフンティアンに続く…)

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2010/05/31

タサエンとター① ~背景~

タサエンでの経験をつづるにあたり、現カンボジアの背景となっている歴史について、ちょこっと触れたいと思います。

(知ってる人は読み飛ばしてくださいね☆)

世界遺産アンコール・ワット。

Angkor_wat_2

トラベルブックとして有名な「地球の歩き方」でも、タイトルが「アンコール・ワットとカンボジア」なんて並びになっているくらい、国名よりも名を馳せる、言わずと知れたカンボジア最大の観光名所です。

そのアンコール・ワットをはじめ、カンボジア各地に、今なおその魅力を失わない、荘厳かつ繊細で優雅な遺跡群を後世に残したのがアンコール期(802~1431年)。最盛期には、現在のタイ、ベトナムをはじめ、インドシナ半島の大部分まで勢力下に置くほどの大王朝となりました。

この時代には、カンボジアの個性や魅力となる、豊かな文化や風習が華開き、クメール人の誇り高き伝統として、後世まで受け継がれてきました。

まさしく”華”の時代。

でも、繁栄は続かず、王家も国力も衰退し、後アンコール時代に入ると、近隣国(タイ・ベトナム)に領土を侵され、ついに、タイ・ベトナムの属国状態となります(1431~1863年)。

その後、カンボジアの王は、二重属国状態を打開するため、フランスと保護条約を結び、フランスの支配下に入ることを選びます(フランス植民地時代)。

自分の国なのに、自分の国じゃない。愛国心が強く、プライドの高いクメール人にとっては”耐”の時代だっただろうと思います。

そして、1953年11月、努力の末、カンボジアは、フランスからの独立を果たします。”開”

ようやくカンボジア人の手で行う国づくりが始まります。

しかし、10年を過ぎたころ、政策に失敗したのをきっかけに、体制は崩れ始め、独立からわずか17年で、クーデターが起きます。”崩”

5年間の混乱の中、徐々に存在を大きくしていった人物がポル・ポト。1975年4月、とうとう彼が政権を握ることになります。

Pol_poto_2

首相となったポル・ポトは、共産主義を掲げ、全く新しい国づくりを始めます。これまでの政治、経済、教育、文化などすべてを否定し、伝統文化も価値観も、すべてを力で排除しました。

具体的に言うと、

・ 労農・政治教育以外の教育、宗教、市場・通貨の廃止

・ 国交断絶。国内の情報(悪事)は、国外に洩らされなかった。

・ 都市は、農村の富を搾取する異民族の拠点として、都市生活を否定。無人化して、人を農村に強制移住させて農業に従事させた。

・ 集団生活化の断行。

その結果、カンボジアは、歴史が育んだあらゆる財産を失い、”0(ゼロ)”の状態になりました。これは、他の国では例のない、異常な事態でした。

異常なのは、人(命、気持ち、関係など)に対する価値観もまた同様でした。

政敵はもちろん、逆らう者だけでなく、一介の教師や文化人など、知識人・有識者は、新しい国づくりの有害因子としてすべて殺しました。洗脳しやすい子どもを親さえ殺せるように教育し、少年兵に仕立てあげるなど(幹部の近衛兵は、みんな12~16歳ほどの子どもだったそうです)、家族という一番小さくて濃い人間関係すら破壊し、極端な政策を実施し続けました。

ポル・ポトが政権を握った3年と8か月間。それは、異常な政策の遂行ために、国が国民を大量虐殺するという、希望のない”闇”の時代でした。

さて、その闇の時代でさえも、カンボジアは隣国ベトナムの干渉を受け続けます。ポル・ポト政権成立当初から対立が激化していたベトナムとの関係は、とうとう国境紛争に発展しました。優勢だったベトナム軍は、徐々にカンボジア領内に進攻し、ポル・ポトの悪政に立ちあがった「カンプチア救国民族統一戦線」と手を組み、1979年1月、彼らがポル・ポト政権から首都プノンペンを解放するのを助けました。(「カンプチア人民共和国」の樹立)。

ポル・ポト軍はといえば、プノンペンから北西へと逃げ、タイ国境まで辿り着き、そこで新たな政権「民主カンプチア連合政府三派」を発足させます。そして、中国やアセアンの支援を受けながら長期にわたってゲリラ活動を展開しました。

Map

タサエンも、かつては、人もすまないような鬱蒼とした熱帯雨林のジャングルだったそうです。そうした場所は、ゲリラ戦にはもってこいでした。

「民主カンプチア(ポル・ポト軍)」側は、人数で劣る分、奇襲によって敵を陥れようとしました。そのために大量に使われたのが、地雷です。対人・対戦車地雷がその数もわからないほど埋められました。

これが、タイ国境周辺部に、地雷が多い理由です。

タイとの国境に位置する州は、プルサット州、バッタンバン州、パイリン特別市、バンティアイ・ミエンチェイ州、オードォ・ミエンチェイ州、シェムリアップ州、プレア・ヴィヒア州です。これらの州では、街を離れ、ちょっと郊外に出れば、赤いドクロの看板を簡単に見ることができます。

特に、今回尋ねたタサエンは、「カンプチア人民共和国」とベトナムの連合軍が、「民主カンプチア連合政府三派(ポル・ポト軍)」を追い詰め、掃討作戦に出た最後の戦場であり、激戦地の一つだったそうです。

地雷原には、戦車の轍が今も生々しく残り、過去の戦闘の様子を窺わせていました。

Wadachi

常に侵略者の影に脅かされてきたカンボジア。何も持たない国なら、こんなにも侵略を受けなくてよかったのかもしれません。

民族という囲いを払って付き合えたら、流れないで済んだ血もあったのかもしれません。

歴史は、同じことを繰り返さないための最良の師です。

なのに、カンボジアは、虐殺による人材の不足や、手がかりの破壊や隠蔽、盗難など、その歴史すら、失いそうになっています。

少数とはいえ、また、知識層や教育者はほとんどいないとはいえ、それでも、まだ、年輩者が生きている今、真実の歴史や過去様々執り行われた政治や政策の1つ1つの意図などと、しっかり向き合うことが、今、大切なように感じました。

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2010/05/24

タサエン

金曜から日曜にかけて、地雷の勉強をしに行ってきました。

Ta

Deminer

Mine

Deminers_smile

Ireihi

Deminers

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Mines

戦闘とは?退廃とは?敵味方とは?中枢部とは?

平和とは?復興とは?家族とは?地域とは?現場とは?

たくさんの?と向き合った濃厚な時間が2泊3日の旅でした。

(詳細は続く…)

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