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2010/05/31

タサエンとター① ~背景~

タサエンでの経験をつづるにあたり、現カンボジアの背景となっている歴史について、ちょこっと触れたいと思います。

(知ってる人は読み飛ばしてくださいね☆)

世界遺産アンコール・ワット。

Angkor_wat_2

トラベルブックとして有名な「地球の歩き方」でも、タイトルが「アンコール・ワットとカンボジア」なんて並びになっているくらい、国名よりも名を馳せる、言わずと知れたカンボジア最大の観光名所です。

そのアンコール・ワットをはじめ、カンボジア各地に、今なおその魅力を失わない、荘厳かつ繊細で優雅な遺跡群を後世に残したのがアンコール期(802~1431年)。最盛期には、現在のタイ、ベトナムをはじめ、インドシナ半島の大部分まで勢力下に置くほどの大王朝となりました。

この時代には、カンボジアの個性や魅力となる、豊かな文化や風習が華開き、クメール人の誇り高き伝統として、後世まで受け継がれてきました。

まさしく”華”の時代。

でも、繁栄は続かず、王家も国力も衰退し、後アンコール時代に入ると、近隣国(タイ・ベトナム)に領土を侵され、ついに、タイ・ベトナムの属国状態となります(1431~1863年)。

その後、カンボジアの王は、二重属国状態を打開するため、フランスと保護条約を結び、フランスの支配下に入ることを選びます(フランス植民地時代)。

自分の国なのに、自分の国じゃない。愛国心が強く、プライドの高いクメール人にとっては”耐”の時代だっただろうと思います。

そして、1953年11月、努力の末、カンボジアは、フランスからの独立を果たします。”開”

ようやくカンボジア人の手で行う国づくりが始まります。

しかし、10年を過ぎたころ、政策に失敗したのをきっかけに、体制は崩れ始め、独立からわずか17年で、クーデターが起きます。”崩”

5年間の混乱の中、徐々に存在を大きくしていった人物がポル・ポト。1975年4月、とうとう彼が政権を握ることになります。

Pol_poto_2

首相となったポル・ポトは、共産主義を掲げ、全く新しい国づくりを始めます。これまでの政治、経済、教育、文化などすべてを否定し、伝統文化も価値観も、すべてを力で排除しました。

具体的に言うと、

・ 労農・政治教育以外の教育、宗教、市場・通貨の廃止

・ 国交断絶。国内の情報(悪事)は、国外に洩らされなかった。

・ 都市は、農村の富を搾取する異民族の拠点として、都市生活を否定。無人化して、人を農村に強制移住させて農業に従事させた。

・ 集団生活化の断行。

その結果、カンボジアは、歴史が育んだあらゆる財産を失い、”0(ゼロ)”の状態になりました。これは、他の国では例のない、異常な事態でした。

異常なのは、人(命、気持ち、関係など)に対する価値観もまた同様でした。

政敵はもちろん、逆らう者だけでなく、一介の教師や文化人など、知識人・有識者は、新しい国づくりの有害因子としてすべて殺しました。洗脳しやすい子どもを親さえ殺せるように教育し、少年兵に仕立てあげるなど(幹部の近衛兵は、みんな12~16歳ほどの子どもだったそうです)、家族という一番小さくて濃い人間関係すら破壊し、極端な政策を実施し続けました。

ポル・ポトが政権を握った3年と8か月間。それは、異常な政策の遂行ために、国が国民を大量虐殺するという、希望のない”闇”の時代でした。

さて、その闇の時代でさえも、カンボジアは隣国ベトナムの干渉を受け続けます。ポル・ポト政権成立当初から対立が激化していたベトナムとの関係は、とうとう国境紛争に発展しました。優勢だったベトナム軍は、徐々にカンボジア領内に進攻し、ポル・ポトの悪政に立ちあがった「カンプチア救国民族統一戦線」と手を組み、1979年1月、彼らがポル・ポト政権から首都プノンペンを解放するのを助けました。(「カンプチア人民共和国」の樹立)。

ポル・ポト軍はといえば、プノンペンから北西へと逃げ、タイ国境まで辿り着き、そこで新たな政権「民主カンプチア連合政府三派」を発足させます。そして、中国やアセアンの支援を受けながら長期にわたってゲリラ活動を展開しました。

Map

タサエンも、かつては、人もすまないような鬱蒼とした熱帯雨林のジャングルだったそうです。そうした場所は、ゲリラ戦にはもってこいでした。

「民主カンプチア(ポル・ポト軍)」側は、人数で劣る分、奇襲によって敵を陥れようとしました。そのために大量に使われたのが、地雷です。対人・対戦車地雷がその数もわからないほど埋められました。

これが、タイ国境周辺部に、地雷が多い理由です。

タイとの国境に位置する州は、プルサット州、バッタンバン州、パイリン特別市、バンティアイ・ミエンチェイ州、オードォ・ミエンチェイ州、シェムリアップ州、プレア・ヴィヒア州です。これらの州では、街を離れ、ちょっと郊外に出れば、赤いドクロの看板を簡単に見ることができます。

特に、今回尋ねたタサエンは、「カンプチア人民共和国」とベトナムの連合軍が、「民主カンプチア連合政府三派(ポル・ポト軍)」を追い詰め、掃討作戦に出た最後の戦場であり、激戦地の一つだったそうです。

地雷原には、戦車の轍が今も生々しく残り、過去の戦闘の様子を窺わせていました。

Wadachi

常に侵略者の影に脅かされてきたカンボジア。何も持たない国なら、こんなにも侵略を受けなくてよかったのかもしれません。

民族という囲いを払って付き合えたら、流れないで済んだ血もあったのかもしれません。

歴史は、同じことを繰り返さないための最良の師です。

なのに、カンボジアは、虐殺による人材の不足や、手がかりの破壊や隠蔽、盗難など、その歴史すら、失いそうになっています。

少数とはいえ、また、知識層や教育者はほとんどいないとはいえ、それでも、まだ、年輩者が生きている今、真実の歴史や過去様々執り行われた政治や政策の1つ1つの意図などと、しっかり向き合うことが、今、大切なように感じました。

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2010/05/28

手紙fromジャパン

初任校で6年生の時に担任した卒業生(現在高1)から、海を越えて手紙が来ました。

小学校のクラスメイトの現在、今の自分のこと、恋愛のこと、わたしのこと、便箋じゃなくってルーズリーフ(笑)に、ぎっしり詰まった文字を見て、あたしって幸せ者だなぁ~って嬉しかったhappy01

ニタニタしたり、ひとりで笑ったり、傍から見たら変な人でしたが(笑)い~っぱい元気をもらいましたscissors

担任して1年でおしまいの関係じゃなくって、その後も信頼しあえる関係ってスバラシイです。

小学生から大人の階段上って、あの頃とは違った見方や考え方で話をしたり、言葉を交わしたりできるのは、教師冥利ってものかもしれません。

大坪学級の卒業生たち、先生・生徒の関係は終わったけど、1年間ガッツリ向き合った1人1人をそう簡単には忘れちゃいませんよ♪わたくし、いつでもウェルカム状態であり続けてます。

疎遠にしない限り、人と人としての関係はいつまでも続く。

繋がっていこうねnote

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2010/05/27

ネアックルー・トモミ

5年2組での授業後、課題が早く終わった子どもたちがお絵かきpencil

Neakklu

笑った顔、強気な顔(怒ってる顔!?)、驚いてる顔、澄ましてる顔。

なかなか良く見てますeye(笑)

色鉛筆は支援でもらえたりするけど、クレヨンや絵の具は使ったことがない子どもたち。

ここにどんな色をのせたいんだろう。

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2010/05/24

タサエン

金曜から日曜にかけて、地雷の勉強をしに行ってきました。

Ta

Deminer

Mine

Deminers_smile

Ireihi

Deminers

In_the_track_2

Mines

戦闘とは?退廃とは?敵味方とは?中枢部とは?

平和とは?復興とは?家族とは?地域とは?現場とは?

たくさんの?と向き合った濃厚な時間が2泊3日の旅でした。

(詳細は続く…)

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2010/05/21

プレゼンの後で…

プレゼン終了後の4時、雨季の空が広がるなかで、今度は、寮生を一堂に集めてコンポスト作りの説明会を開きました。

担当してくれたのは、環境省に配属されている隊員、テル。

朝から(昼から?)コンポスト用の竹かごに虫対策の網を張って頑張っていたテル。

Mokumoku

午後からは、Yシャツに着替えてみんなの前でとっても簡単なコンポストの作り方を紹介してくれました。(アシスタントしてくれたのはバッタンバン隊員のシンくん)

Warawara

紹介の後は、土の入った竹かごを配って、寮生にお任せコース。

さてさて、こちらもどうなることやらnote

しかし、この活動(コンポスト作り)は、あたし一人じゃとてもこのタイミングでは実現できなかっただろうと、つくづく思い、感謝…clover

テル、シンくんありがとうhappy02

仲間がいるって、やっぱり素晴らしい!!

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2010/05/20

プレゼン無事終了~☆

今日は、我が協力隊活動の中でも一大仕事をやり終えた一日になりましたhappy01

その大仕事とは…

Marumaru

教員養成校と付属小学校の先生を一堂に集め、ごみ分別について理解を求めるためのプレゼンテーションをするというもの。

今までやってきた活動は、いわばそのための前座。

口だけでモノを言ってても行動が伴わなければ人は動かせない。それが私のモットー。

先生たちに”やってみるようかな”と思わせるため、コツコツ積み上げた下地をもとにして、なんとか今日のプレゼンにこぎつけましたsweat01

プレゼン自体も、学校のごみや学生、参考資料に写真を多用し、ゴミの問題を身近なものとして感じたり、ダイオキシンの影響が文字や絵の中の絵空事じゃなく、現実の問題であることを理解してもらえるように工夫しました。

その甲斐あってか、いつもの職員会議では私語の激しい先生方も、衝撃的な(?)映像に見入っている様子でした。

Humuhumu

何より、先生たちに伝えたかった一番大きなメッセージは、”教師は、児童や学生の鏡となる人間の一人だ”ということ。

これまで、先生方(カンボジア人全般?)の印象として、児童や学生たち、そして、学校の問題に対する無関心さと行動力のなさをつくづく感じてきました。

けれど、語学能力の不足やタイミング、まだもの申すだけのことをやってこれていなかったなどの背景があり、そういった部分に対して、ズバッとバサッと自分の気持ちを伝えてこれませんでした。

でも、今日は、プレゼンに載せて、それらの思いを非難する形ではなく、まずまずの形で発信することができました。(すっきり爽快です(笑))

反省点は、プレゼントいうこともあって、やはり、発信することがメインになったこと。先生たちがどう受け止めてくれたか、異論反論、等々それをその場で討議することは十分にできませんでした。

それに、もっとここに力を込めたかったとか、言い足りなかったとか、彼ら自身にもっと考えさせられたらとか、改善点も多々あります。

そんなこんなな今日のプレゼンですが、一つ言えるのは、やってよかったということ。

思いは言葉にのせて、形に表して、表現しなければ相手に伝わりません。だんまりしてたり、無視してても物事は改善しません。

だから今日の30分は、私の中で大きな一歩になりました。

先生たちにとって”一歩”になるかどうかはまだまだわかりません。

けど、最後に書いてもらった感想の中には、「みんなで協力することが大事だ。」「学生たちに伝えていきたい」などの言葉もちらほらいただけました。

さあて、長かった睡眠不足の日々から解放されたのと同時に、今後の見届けも頑張らねば!ですnote

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2010/05/19

雨季

本格的に雨季に入っているカンボジア。

ここに来る前は、”雨季”って一日中雨が降り続いていると思っていましたが、違った…。

日本で言う夕立がほぼ毎日やってくるのがここの雨季でしたrain

雷も激しい!!(落雷による死傷者も結構多いみたいですthunder

昨日は最近でも特にひどい雷雨で、6時まで学校に取り残されました。

Zaza

逞しいクメール人は、大粒の雨も、恵みの雨とばかりに自転車やバイクを洗っていました(笑)

雨がやんで家に帰ると、雨漏り発見!!

あたしにとっては初の体験でしたが、ここではよくあること。オッパニャハー(No problem)なのでしたscissors(あたしも逞しくなってるなぁ…)

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2010/05/18

シェムリアップ③

最後は、”花束の池”を意味する遺跡ベンメリア。「東のアンコール」とも呼ばれるくらい、アンコールワットと造りが似ています。

Iriguti_2

市内から80kmと遠く、最近まで周辺で地雷処理が行われていた場所にあります。

今回お世話になったトゥクトゥクのアイさんは、近道しようとして道に迷ってましたが(笑)、普通に行けば、市内から1時間半くらいで行けます。

遺跡は、自然の風化に加え、ポル・ポト時代の破壊や盗掘などにより、どこをどう歩いたらいいのかわからないほど崩壊が激しい状態。

これはガイドがいないと危険と判断し、お願いすることにしました。

普段はツーリストポリスのカックさん。この日はオフで、ガイドをしてくれました。

Kairou

Kamisama

Ki_ga_hau

Naga

歩ける場所を探しながら、遺跡の屋根の上を歩いたり、崩れた石で阻まれた場所に行きついたりするのは、ちょっとした探検気分を味わえますnote

ちなみに、ここ、ベンメリアは、タ・プロームと同様、宮崎駿作品「天空の城ラピュタ」のモデルになっているそうです。

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2010/05/17

シェムリアップ②

”川の源流”の意味を持つ遺跡クバール・スピアン。

Siba

ここは、クーレン山の北東に位置し、シェムリアップ川の源流となり、トンレサップ湖に流れ入ることから、ヒマラヤ山脈、ガンジス川、インド洋に摸して、古来から聖地として崇められてきた場所なのだそうです。

注意しながら探すと、川の周りにある天然の岩に、リンガやヴィシュヌ神、シヴァ神、ブラフマー神といったヒンズーの神々が彫り込まれています。

Brahuma

Kaeru

Siba2

Usi

Yoni_to_5tu_no_ringa 

神は自然から生まれたと思える程、人工物である彫刻が自然の中に溶け込んでいて神秘的です。

リンガを流れた水は聖なる水となることから、川底に無数のリンガを作れば、よりパワーのある水になると考えられたのだとか。

950年程前の大昔、王様たちが、この水で沐浴したり、病気を治したりしていたと思いつつ、その場に立つとなかなか感慨深いものがありました。

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2010/05/16

シェムリアップ

予防接種のついでにシェムリアップの遺跡巡りをしてきました。

”女の砦”を意味するバンテアイ・スレイ。

Entrance

ラテライトと赤色砂岩で作られたこの遺跡は、他の遺跡と比べて赤色が強く出ています。

Red

彫刻は彫りが深く、緻密かつ繊細。

Ramayana

Ramayana2

Ramayana3

どうしたらこんな風に石の塊に命を吹き込めるんだろうと、ただただうっとり…。

「東洋のモナリザ」と呼ばれるテバダー像(右)も、優しく艶やかに微笑みかけます。

Monariza

Debada 

テバダー像も含めて、全体的にこじんまりとしているバンテアイスレイ。

Kojinmari

シェムリアップしないから40km程離れた場所にあるけれど、観光客にとっても、カンボジア人にとっても、人気の高いスポットです。

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2010/05/12

腹が減っては…

母さんが送ってくれた切干大根を、カンボジアの乾燥湯葉とニンジンで煮付けましたrestaurant

Oisikattayo

落ちてる時こそ食べる!!それが復活の秘訣。

母さん、元気出たよ~up

ありがとねnote

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2010/05/11

ヌケガラ

今朝、学生が、「大きいゴミ箱がなくなっている。」そう伝えに来てくれました。

午前中は付属小での授業もあり、きっと奉仕作業の時にどこかに置き忘れたんだろうとタカをくくっていた私。

午後、再び予備に来てくれた学生とゴミ置き場に行ってみると、3週間前に手作りした”紙専用”と”プラスチックごみ専用”の二つの大きなごみかごがない。

校内をぐるっと探しましたが、…ない。

どうやら盗られたらしい。

はあ…down

校長先生、教頭先生に事情を伝え、今後どうしようかを相談。

落ち込んでも仕方ないし、次のこと考えなきゃ、とか思ってはみるものの、

なんか、あたし、ちょっと、いやかなり、元気ないみたいです。

このまま弱ってたら、みんなが心配して頑張ってくれちゃったりしないかな(笑)

なーんて、そんなわけにもなかなかいかないし、木曜からの連休明け、何とかしなくちゃな。

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2010/05/10

フレンチトースト!?

朝、業者さんとコンポスト小屋の見積もりをしに行った某ご飯屋さんにて。

French_toast

フレンチトーストを頼んだら”揚げパン”が出てきましたeye

フレンチフライは揚げるからパンも挙げてみたのか!?

朝から胃もたれです・・・sweat02

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2010/05/09

冷やし坦々麺!!

先日のプノンペン出張の折、9月に行われる次の理科研修で、『SET Deli』メンバーが、理科教官たち対象に、実験技術指導を行うことを決めました。

それに向けた、ミーティングのため、土・日で、またまたプノンペンに行ってきましたbus

プノンペンはおいしいものがいっぱいcatface

Nice_shot

冷やし坦々麺!!ご飯のお替りしたい放題で、確か3ドルdollar

日本のNGOが運営する職業訓練校内にあるラーメン屋さんにて。

「いっらっしゃいませ。」

「ご注文は何になさいますか?」

「承知しました。少々お待ちください。」

「お待たせしました。」

「ありがとうございました。」

日本じゃよく聞く店員さんの受け答え。

カンボジアでは、普通の飲食店の店員さんは、これらの言葉を全く使いません。

でも、このお店は、カンボジア人の店員さん全員が、大きな声で、はきはきと、これらの日本語を使って、気持ちよく対応してくれました。

すごく親近感がわくのは、日本語だったっていうだけじゃない気がしました。

もてなしの心、気遣う心、感謝の心、言葉に乗って伝わる気持ちがあります。

あらためて、日本の文化って素敵だと思った一時でした。

Dokomitennoyo

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2010/05/07

ゴミ置き場のその後

研修前にあわただしく設置した100%手作りゴミ置き場。

研修&結婚式と続いた後、期待と不安を胸に、9日ぶりに学校に行ってみると…。

Ro

焼却炉の周辺にはゴミは増えていない様子に”喜”

でも…

プラスチックごみ専用のはずが・・・。

Plastick

紙専用のはずが…。

Kami

コンポスト用の残飯や植物のはずが…。

Syokubutu_zanpan

この有様に”怒哀”

翌日、気を取り直して1人で再分別。

プラスチックや紙のゴミは、乾いているから、それだけ集めたら燃やすのは簡単です。

でも、そこに残飯が混入されることで、腐り、悪臭と湿気を放ちます。じっとり湿ってしまったこれらのゴミは、焼却処理をできなくさせていました。

残飯入れは残飯入れで、ビニール袋ごと捨ててあったり、他のプラスチックごみが混在。

そのままではコンポストができないので、腐りきり、発酵して熱まで持っっているような状態でも手を突っ込んで分別し直しました。

残飯の主は、寮生。

研修に出かける前に説明をして、一部屋に3つずつ、分別用にゴミ箱まで配っておいたのに。

”なんでこんな簡単なことができないんだろう。”

(日本人には簡単でもカンボジアの人たちには初めてに近いこと。簡単なことじゃない。)

”全然気持ちが伝わってない。”

(紙のゴミ箱に紙、プラスチックのごみ箱にプラスチックごみ、残飯だけ出してちゃんと捨ててある部分もある。わかって、実行している人間もいる。)

”あたしがやっていることは無駄なの?”

(自分だって、学生に、「家や学校の外ならどんなゴミの捨て方をしてもいいのに、なんで自分たちだけやらされるんだ」って疑問を持たせてる。)

”いつまでこの状態が続くんだろう。”

(カンボジアの現状とのギャップがありすぎる活動だからすぐには変わらない。)

悶々としながら2時間ばかりが過ぎた時、出た1つの答え。

”誰の為にやってるんだろう。”

(すべては自然の為。)

そう思えた瞬間、全ての徒労が一気に”楽”になりました。

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2010/05/06

大家さんちの結婚式

4月末、プノンペンの出張から帰ると、家は大きく様変わりeye

前々から、大家ママに、式で使う贈り物を置いたり、儀式をしたり、新婦が着替えをするために、家を使わせてほしいと頼まれており、5月1日の式当日に向けての準備が始まっていましたsign03

Before_3 After_2 

結婚式当日は朝5時半から大音響が響き渡ります。

「今日はどこのだれが結婚式をするよ~」みたいなことをアピールしているらしい…。

日本ならば苦情殺到必至な式は、通常2日間ほど続きますsweat01

Dansyou

2日間も何をしてるのかsign02

今回だいぶ解明されましたeyeglass

1日目 朝7:00

新郎の家から新婦の家に贈り物を持った大行列がやってくる(フリ)。実際には100m程離れた所から整列して贈り物を運びました。親せきや親しい友人が参加します。

運び終わって席に着くと新婦の登場。ジャスミンのフラワーシャワーで新郎新婦を祝福します。

その後、朝食ニャムニャム…

一時解散したかとおもいきや、再集合して髪切りの儀式に突入。小休憩は、新郎新婦とその付き人(男女3人ずつ)のお召替え休憩だったようです。

儀式では、両親や親せきは、新郎新婦の髪を整え(るフリをし)ます。

Tyotto_bikkurigao

わたくしも親戚一同に混ぜてもらって、髪を切るフリをさせてもらいましたhappy01

続いて、神様(と呼ばれる変顔メイクの人)が登場。

Kamisama

何やらコントがはじまり、新郎新婦とその付き人に絡んで盛り上げるのですが、笑いドコロがよくわからない私は、ハートでかわいいんだけど、やっぱりサル!?パンツがお気に入りでした。

Monkys_hip

その後、昼食ニャムニャム…。

午後は、隣のホテルで休憩している間にも、新婦が新郎の足を洗う儀式などが行われたようです。(主役の衣装が変わってました!!)

夕方、親戚の皆様と談笑後、夕食ニャムニャム…。

夕飯後、私はホテルに戻りましたが、11時頃までクメール音楽の大音量は続いていました…。こうして、ニャムニャムな1日目は終了。

                         mistariessleepy

2日目朝 8:00

出かけると、もうすでに何やらわからない儀式が始まっていました。

その後、朝食ニャムニャム…。

この日の昼食が一番大きな宴になっていて、家の敷地内をはみ出して、道路までも使用。招待したたくさんのゲストの為に、円卓と椅子が準備されていきました。

”ニャムカー”と呼ばれるクメール結婚式。”ニャム”は「食べる」、”カー”は動詞を名詞化させる言葉。

その名の通り、お呼ばれされた方々は、次々と出されるご馳走でもてなされます。

お腹パンパンになるまで、とにかく食べて食べて飲んで…。

食べたらすぐ帰ってしまう人が多いですが、気が向いたら音楽に合わせて踊ったり、新郎新婦にからんだり。思い思いに過ごして式は終わりました。

カンボジアの結婚式は、日本なら3~4時間できゅっと詰まっている内容を、2日間でゆっくりと一つ一つやっていくようなイメージです。

儀式の内容には違いがあれど、儀式は親戚など近しい人と、披露宴は友人を集めて賑やかに執り行う所や、ご祝儀の存在など、日本と似ているところもいくつかありました。

一方、新郎新婦と付き人(男女3人ずついます)は、儀式や食事に合わせて6~7回衣装替えをしていたのが印象的でした。これぞという時に奮発する額は、半端ありません(笑)

Dare 2日間、しっかり付き合わせてもらい、感謝。

ありがとう大家さん一家&一族shine

見た目もしっかりクメール人になりきった2日間でした。

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2010/05/05

付属小学校におじゃま虫

付属小4年生にお邪魔してきました。

磁石の授業。

2本しかないI字磁石を使って作った磁界。

Manathy

砂鉄は学校近所の修理屋さんで削りかすをGetしてPrice lessnote

(初めて訪れた修理屋さんですが、向こうは通勤の様子を眺めていたようで、「あっ、よく家の前通ってく外人だ!!」と思ったらしい(笑))

磁石で遊ぶ経験もなかった子どもたち。

Kuti_ga_aiteruyo

自分の番じゃなくても、なぜか真剣coldsweats02

こんな単純な迷路でもゴールできたらうれしそうでしたhappy02

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2010/05/04

Battambang米

バッタンバンは国内でもおいしいお米の産地として有名です。

そんなバッタンバンで、JICA専門家の手がけたBRAND米!!

Donbon_ojisan_mark

バッタンバンの名前の由来となったドンボンおじさんのでっかいマーク入りnotes

そして、さらにバックには、JICAのロゴマークも入ってるshine

Jica_kounin

現在プノンペンでしかBRAND米は手に入らないのだそうで、専門家のお一人がスーパー袋2袋分も分けてくださいました(ありがとうございましたm(u..u)m)

”香り米”という、世界的に高級米として知られる部類に入ります。

長粒で、日本米ほどの粘りはありませんが、パサパサの味気ない米とは違い、名前の通り、米のいいにおいがしておいしい。

外貨を稼ぐ力の乏しいカンボジア。世界で通用する、国の誇れる米として、現在、国外輸出に向けて動き出しています。

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